子どもを殺された親に「過失」なんてありえんと思うわけだが。

マスコミ・報道

深夜の公園と少年

大阪府高槻市で中学1年の少女の遺体が発見され、容疑者が逮捕されるも行方不明だった中学1年の少年も遺体で発見。最悪の事件だ。
今後の捜査で経緯や動機が明らかにされるのだろうが、目を逸らし耳をふさぎたくなる。それくらい酷い。

未成年が犠牲になる事件で必ず議論されるのが「事件は防げなかったのか?」ということ。これは重要なことで社会全体が考えなければならない。
一方で、事件を防ぐという議論に紛れて巻き起こる「家庭の問題」の詮索と親への過失追及。特にネット界隈で起こりがちだが、テレビなどでも「家庭でもっと・・・」などというコメントが散見され、毎度首を傾げる。

子供を殺されたうえ批判される家族

はっきり言えることは「犯人がイカレテいる」ということ。犯罪歴もある。
極端な犯罪傾向にある人物が社会に放たれ、結果としては、いつ誰が被害に遭うか解らない状態が続いていたということだ。
少し語弊があるかもしれないが、殺害された二人は「たまたま」この男に捕まってしまったのだ。深夜に徘徊していたとはいえ、思春期の少年少女らしい行動であったし、この男さえいなければ後で怒られて済むはずだった。
それがどうでしょう?残酷な殺され方をした被害者とその家族は、日頃の行動や言動、家庭環境まで詮索されて日本中の晒し者にされている。
繰り返すが、この男さえいなければ他愛もない家族の歴史の一ページだったはずだ。中学時代の家族との確執や軋轢なんて、10年もすれば笑い話だ。

テレビなんかで「家庭でもっと対話を」とか「子どもの気持ちを大人が・・・」なんてことを平気で抜かしてる馬鹿どもは、事件の過失が家族にあったとでも言いたいのか?いったい何様になったつもりなんでしょうか?
考えなくても解るだろう。悪いのは子供を殺す鬼畜野郎だ。

被害者家族へのお説教は酷

冒頭にも書いたが、事件を未然に防ぐ対策は必要です。
しかし今回に限った事ではないが、いつも被害者の名前、顔は大々的に報道され家族まで特定される。そのような状態で「子供を守る」という事をテレビで議論すれば、それは即ち被害者家族をサンプルにすることとなる。
子供を殺された親にとっては二度目の地獄であり、何を聞いても自分の過失だと言われてるような気分になるでしょう。「こうすればいい」と言われれば、親として「なぜそうしなかったのか」と自分を責めることでしょう。あまりにも酷だ。
社会を震撼させ、すべての親が不安になる事件であるが、そんなことテレビで言われなくてもわかってる。わかっていても上手くいかないのが思春期なんだし。
子供と親の関係や、社会と子供の関係なんて、おそらく有史以来語られ続けた問題であり今回のような特殊な事件と結び付けて語っても意味はないのではないか?
「夜出歩くと殺人鬼に殺される」みたいな説教は教育か?
意味のない不毛な議論で被害者家族を追い詰めてどうする?

子育てや思春期の問題なら、どこの家庭でも起きている問題であり、別に被害者家族をサンプルに語る必要なんてないはずだ。

この事件は家族の問題ではない。特殊な犯罪傾向にある人物を今後どう扱うか?犯罪を犯した人物の人権と、再犯で被害に遭う被害者とその家族の怒りに社会はどう応えるのか?
そういう問題ではないだろうか。

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【運営・執筆】竹本てつじ【転載について

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