高畑淳子さんはなぜ息子の事件で謝罪しなければならないのか?
俳優の高畑祐太が強姦致傷罪の容疑で逮捕され、母親で女優の高畑淳子さんが26日に会見を行った。
この事件に限らず、二世タレントの不祥事では本人が成人していても親が謝罪したり活動自粛をするのが通例となっている。
こういった場面で必ず出る「成人した子供の不祥事で親が謝罪する必要があるのか?」という意見。
意見としてはあってよいと思うが、少なくとも今回の件は高畑淳子さんが謝罪をしなければならなかったパターンである。
そのあたりを全く考えずコメントをするのが、あの勝部元気氏だ。
高畑敦子氏は息子の性犯罪に関して謝る必要は一切無いと思う。確かに息子を贔屓していたことは問題だと思いますが、二世贔屓はメディア全体の問題ですし、そもそも仕事における息子贔屓と性犯罪とは一切関係無い。責任の所在が不明確な日本だからごっちゃにしちゃうんでしょうが、完全に別問題ですよ。
— 勝部元気 Katsube Genki (@KatsubeGenki) August 26, 2016
そして今回もこのコメント後に言い訳を開始している。
親の謝罪が強制か自発か
まず、勝部元気氏が理解していないのは、祐太容疑者が芸能界で仕事を得るにあたって、女優 高畑淳子の息子であることを「母親」として猛烈にプッシュし、息子の至らない部分や社会性の無さで苦労するエピソードも含めて売り込んでいたことだ。
当然のことながら、仕事上で迷惑かけた関係者や応援してくれていた視聴者に謝罪はしなければならないし、本人も謝罪の場が設けてほしいと願っただろう。
こういった経緯から、勝部元気氏の発言に異論を唱える人間が現れるのは当然で、それに対して勝部元気氏はこう返している。
子育てに関しては自省と対話をすればよく、それも他人に謝るの必要は無いと思います。問題なのは息子に仕事を振ってもらえるように斡旋をしたことです。なので、仮に人前で謝るのなら「親として」ではなく、「息子を斡旋した行為に対して」です。 https://t.co/dwzcIg5R2I
— 勝部元気 Katsube Genki (@KatsubeGenki) August 26, 2016
相変わらず後付けの言い訳で論点がずらされている。
母親として息子を売り込んだのだから、母親として謝罪しているのだ。
母親として息子を売り込んで仕事を得ながら、事件が起きた途端に「息子は成人している」として、仕事を斡旋した行為だけに特化して謝罪しても通用しないし、なにより高畑淳子さんがそれを許さないだろう。
そもそも勝部元気氏は前日に「本人の責任で高畑淳子さんには謝罪する責任がない」という発言をしている。
成人してるんでしょ?何で親が謝らないといけないの?「本人の責任」にしないことが、いつまでも責任能力が育たない人間だらけの国にしているのだと思う。
高畑淳子 裕太容疑者と面会、深々謝罪「申し訳ありませんでした」https://t.co/XwJqeNFmN5
— 勝部元気 Katsube Genki (@KatsubeGenki) August 25, 2016
自分だけが責任を取れば済むという甘い考えこそが問題で、親に迷惑をかけたくない、親に恥をかかせたくないという心理も一種の犯罪抑止と考えることができないのだろうか。
勝部元気氏は、芸能人以外の未成年犯罪において、過剰に親の責任を追及しメディアに引きずり出そうとする風潮と、今回のように直接的に仕事を斡旋し共演をしていた「親」が自発的に謝罪するパターンを混同してしまっているようだ。
過去には、みのもんた氏の息子が逮捕された際に「成人しており、みの氏に責任はない」という意見があり本人も同様の考えを示していたが、みのもんた氏は自身の番組内で一般人の事件を扱い「親の顔が見てみたい」と親を批判する場面があったなど、数々の指摘がなされ番組降板に至った。
この件は、メディアを使い公然と一般人を批判することもあった人間が社会的に責任を取らされる例であるが、高畑淳子さんの場合は自身が「親子関係」を売りに仕事を求めているので、これよりも親としての関与と責任は重いと言えるだろう。
私は、高畑淳子さんは容疑者が芸能界に飛び込む以前から息子の危険性を感じ、芸能界においても女優やタレントに接したときの異常なテンションに不安に感じていたと思う。
それを承知で息子を使ってもらえるように自分の「顔」を使った以上は、責任は重大であることも承知していただろう。
勝部元気氏らが「高畑淳子さんに責任はない、謝罪は必要ない」といくら言ったところで、高畑淳子さんは謝罪をする。だれが止めようとも。
高畑淳子さんを擁護し庇い、メディアから隠していて誰のためになるというのだろうか?
今は誰かに庇われて隠れているよりも、メディアの前でサンドバック状態になっても責任を取らせてほしいという心情ではないだろうか。
容疑者の職業や立場も考えず、親が成人した子供の責任を取るかどうかという一般論を当てはめるのは考えが浅いとしか言いようがない。
勝部元気氏は高畑淳子さんを擁護しているつもりなのだろうが、それは本人から「贖罪」の機会を奪う極めて酷な提案でしかないだろう。