爆笑・太田さんは山里さんの眼鏡を投げて壊したけど聴覚障害者の補聴器を取り上げ叩き壊したりもするの?
笑えない・・・
爆笑問題・太田光さんがTBSラジオのイベントで、南海キャンディーズ・山里亮太さんの眼鏡を取り上げて客席に投げ入れた。昨年に続いて二度目の行為で、昨年は客席に投げ込まれた眼鏡が真っ二つに割れたそうだ。
太田さん… pic.twitter.com/NGqUtor8YA
— 山里 亮太 (@YAMA414) November 6, 2016
先輩の後輩イジリについては、芸人さん同士の了解の上だと思う。山里さんもそう捉えているようで、ネタとして好意的に取り上げている節がある。私自身も記事を書く上で、不謹慎と言われるようなイジリもある。だが、それにも限度というものがある。
例えば、難聴の芸人さんから補聴器を無理やり外して放り投げ、それが破壊されて戻って来ても笑いになるだろうか?
無論、ファッションやキャラの一部を兼ねる眼鏡と、必要な補助機能に特化した補聴器では罪深さも違うが、私は眼鏡を乱暴に扱う人間にも同様の胸糞悪さを感じてしまう。
メガネは体の一部です
私は、視力に問題を抱え様々なことを諦めたが、眼鏡という存在、それを提供してくれるプロの技術に助けられた。その眼鏡を壊されるのは屈辱でしかないし、絶対に許せない。
山里さんは10年ほど前に番組企画で「レーシック」を受け、視力は回復しているようだが、キャラクターとして眼鏡を使用している。それでも視力低下で眼鏡を使用していたのだから、心情的なものは理解しているはずだ。
昨年、眼鏡を壊された直後には、爆笑問題の太田さんから別の眼鏡をプレゼントされ、それを大変喜んだようですが、太田さんはそれを見て「安物を贈ったのに喜んでいる」と嘲笑したそうです。先輩とは言え、この悪趣味なやり口には本気で怒っておくべきだったのかもしれない。
私が視力の問題を自覚し始めた当初は「さほど不自由もない」と思っていたが、不意の事故で片目を負傷してしまった。医師からは「傷が回復しても、視界の中心辺りが雲のように隠れて見えない可能性が極めて高い、最悪は片目失明」と告げられた。負傷した片目を失明すれば、残された片方の目が悪化したときに完全失明するという恐怖を感じてからというもの、眼鏡は目を保護するものとしての認識も加わった。
幸いなことに傷は奇跡的に回復したが、負傷した片目と元から悪かったもう片方の目のバランスが悪くなり、眼鏡で無理に矯正すると眩暈などの体調不良もあって、複数の眼鏡を場所や体調で使い分ける必要が生じた。
こういった事情で、頻繁にメガネ店に通い、お世話人になっている身としては、眼鏡を壊して笑いにする人の無神経さに、強い憤りを感じるのです。
また、眼鏡をかけはじめるとき、誰しもが抵抗を感じる。子供なら色々不安になって最初の登校は気が重くなるだろう。それでも眼鏡は使っているうちに、本当に「体の一部」となり、欠かせない存在として愛着が湧いてくるのです。
自分以外のものでも「眼鏡を壊される」という胸糞の悪さ、自分の大切な眼鏡をイタズラされたり壊される屈辱感、この感覚は理解してもらえないものだろうか?