米動物園ゴリラ射殺への批判はカルト宗教さながら


東山動植物園オフィシャルゴリラ写真集 シャバーニ!
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米オハイオ州の動物園でゴリラ(オス17歳)が射殺されたことに批判の声が相次いぎ論争が起きている。
はっきり言って、ゴリラの射殺は正しい判断だ。
種として人間(ヒト)が人間(ヒト)を守ることは至極当然である。
なぜならゴリラはゴリラを殺してまで、人間(ヒト)を優先してくれない。
この論争においてゴリラの希少性や絶滅の危惧を語るものもいるようだが、種としての希少価値で命の軽重を語ることこそ下劣ではないだろうか?

ゴリラが優しいのも気分次第

2016年5月末、米オハイオ州の動物園でゴリラの飼育エリアに3歳の男児が転落。体重180キロのゴリラが転落した男児に興味を示し引きずるなどしたため、動物園側は安全のために射殺を決めた。
麻酔銃による男児救出も検討されたが麻酔の効果が現れる前にゴリラが暴れて、男児に危害を加える可能性もあり、やむを得ない判断であった。

この動物園の判断に対し「ゴリラは男児に危害を加えていない」「男児を守ろうとしていた」などの批判が噴出している。
平気でこのような寝言が言える神経が理解できない。
なぜ動物園のゴリラが鉄柵と堀で囲われているのか考えたことがないのか。
射殺を批判している人間は、放し飼いにされたゴリラと戯れる夢でも見ているのだろう。無論、それは夢に過ぎない。

「ゴリラは優しい」「ゴリラが凶暴というのは誤ったイメージ」
それらは間違っていない。事実であろう。
ゴリラの射殺を批判している人はこういうイメージがあるのだろう。

動画のゴリラが仮に少年を守っていたとしよう。
では、一体何から少年を守っていたのか?
ゴリラだ。簡単に人間を殺すパワーを持つ、他のゴリラから守っていたのです。

ゴリラはゴリラだ。奴らに話は通じない。
自己防衛のために叩いたり押したり体当たりしたりするだけでも、人間の子供などひとたまりもない。
男児を掴んだ状態で興奮したり驚いたらどうなるだろうか?
このゴリラを止めることができる手段は「射殺」しかなかったのだ。
ゴリラが人間を救うという奇跡に、子供の命を懸けるわけにはいかない。
漢字は異なるが、正に掛け替えのない命なのだ。

当然、ゴリラを射殺せねばならない状況に陥った責任は誰にあるかは問われるだろうが、ゴリラの射殺はあの時点では皮肉なことに「最善」の策であったのだ。

人命軽視の動物愛護は危険な宗教

希少な動物を守るという考え方は間違っていない。
だが、希少になることで「命」の重さが変化し、その命の重さが人間の命より優先されるようになれば、それはもうカルト宗教だ。

動物愛護や自然保護はエゴである。
エゴイズムそのものは否定しない。多くの慈善活動や保護活動はエゴでしか説明がつかないことが多く、エゴであっても救われるものがあるからだ。
しかし、それがエゴであることに気付かない、目を背けるといった態度は、やむを得ない犠牲まで強硬に批判し、人間らしさを失っていく。
人間がすべて悪い、人間さえいなくなれば・・・
このままでは地球は滅亡する・・・
それはさながらドゥームズデー・カルトのようだ。

人間がゴリラを守ってもゴリラは人間を守らない。そう思って他種動物と向き合わなければ痛い目に遭うだろう。

人間の命か?
ゴリラの命か?

心が痛んでも人間の命を選ぶ。
ゴリラを助け、人間の子供を見殺しにしたものを人間と呼べるものか・・・

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【運営・執筆】竹本てつじ【転載について

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