米山新潟県知事「点字ブロックが!の指摘は独善」に対する徹底反論

政治・社会

米山隆一新潟県知事フェイスブック

写真:米山隆一新潟県知事フェイスブック

21日、新潟県の米山隆一知事が投稿したブログが酷過ぎる。
政治家や活動家らが、デモの際に点字ブロックの上を占拠しているという指摘に対し、事実を歪曲して「点字ブロック上に立ってはいけないとか、止まっていてはいけないとかと言う法律はありません。」「視覚障碍者の方の専用道路のように、絶対空けておくべきもので、少しでもそこを塞いでしまったら、現に使っている人がいなくても、「他人への配慮がない人!」と断罪されるような事でしょうか?」と、点字ブロックを塞ぐ活動家らを擁護しているのだ。
米山隆一の10年先のために – 「点字ブロックが!!!」は、もう止めませんか?

左翼活動家らの支持を得てるからと言って、それらの者が行う非道を擁護する詭弁は見ていて痛々しい。
以下の記事を読んで米山知事は何を感じますか?
点字ブロックに物を置かないで/盲導犬は私たちの体の一部/視覚障害者が宣伝/東京
福岡)「点字ブロックは命の道」視覚障害の生徒呼びかけ:朝日新聞デジタル
東京新聞:「点字ブロックふさがないで」 前橋駅前で盲学校生徒訴え:群馬(TOKYO Web)
米山知事は、以下に示す視覚障害者の訴えに対して「専用道路か?」「車や自転車ではないので、来たら立ち退く」と反論するんですか?視覚障害者が自立して自由に移動したいという願いに対し「助けてやる」という姿勢で点字ブロックを塞ぎ続けるのでしょうか?

米山知事のブログは矛盾と曲解

米山知事のブログは現実を見ようとせず、点字ブロックを塞いでいる活動家らが自分を指示するかどうかで判断し事実を歪曲しているとしか思えない。この米山知事の暴論は全編酷いものだが、その中でも「独善」「事実歪曲」が顕著な部分を指摘し反論しておく。

しかし、ではそれは、視覚障碍者の方の専用道路のように、絶対空けておくべきもので、少しでもそこを塞いでしまったら、現に使っている人がいなくても、「他人への配慮がない人!」と断罪されるような事でしょうか?
出典:米山隆一の10年先のために – 「点字ブロックが!!!」は、もう止めませんか?

都合よく事実を歪曲している。米山知事のブログは和田政宗議員の指摘に対するものであるが、和田政宗議員の指摘した写真は「少しでもそこを塞いでしまったら」というレベルではない。視覚障害者が通りがかっても即座に点字ブロックを開けることが出来ない状態だ。
和田政宗議員が指摘した点字ブロック占拠画像

画像:和田政宗議員が指摘した点字ブロック占拠画像

また、和田政宗議員が言うところの「彼らは注意をしても繰り返し点字ブロックの上に立って占拠」というのは、筆者らが再三指摘した暴挙を指しているものと思われる。
点字ブロックの上に椅子を置いて座り込む左翼

参考:志位・福山も参戦、今度は点字ブロックにイスをズラリ!視覚障害者を絶対に通さない構え!
金蜜さんのツイート 共謀罪の廃案を求める国会行動 衆議院第二議員会館前なう。 共催:共謀罪NO!実行委員会 https t.co iIgrvMZpbr 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会 https t.co KT04AwjFBK https t.co 0XpHhUvF1Y

参考:点字ブロックの上にデモ隊ズラリ!共謀罪に反対する前に社会のルールを守れ

道を開けた状態で、視覚障碍者の方がもし来られたら、点字ブロックを開けられる状態でいたのなら、私はそれは、許容されることだと思います。繰り返し、それを確認もせず、頭ごなしに「反対運動って自分だけ良ければいいの?」「障害のある方や他者への配慮は関係無しか。」と決めつけるのは独善が過ぎると、私は思います。
出典:米山隆一の10年先のために – 「点字ブロックが!!!」は、もう止めませんか?

まず、点字ブロックを開けられる状態にないのは明らかだ。確認もぜず頭ごなしに!などと子供みたいなことを言っているが、画像がすべてを物語っているのだ。

私達は誰しもが、多少なりとも他人に迷惑をかけて生きています。しかしそれを譲り合い、許容しあう事で、私達の社会は成り立っています。視覚障碍者の方が道路を安全に歩く権利は当然最大限尊重されるべきですが、同時に私達が時に花火を見上げ、時にコンサートに出かけ、そして時には訴えたいことをデモで訴える権利もまた、尊重されるべきものです。
出典:米山隆一の10年先のために – 「点字ブロックが!!!」は、もう止めませんか?

視覚障害者が道路を安全に歩く権利は周囲の配慮によって守られている。対して、花火やコンサートやデモは点字ブロックを塞がなくてもできる。
極力、視覚障害者が自力で歩けるような状態を作るのが『配慮』というものだ。自ら視覚障害者の邪魔をしておいて「どいてやる」「サポートしてやる」という姿勢こそ『独善』ではないだろうか?
米山知事の考え方は、障害者の自立よりも自己満足の優しさを優先するものだ。

視覚障害者が自立し、自由に歩行できる社会を作りつつ、傍で見守り、いつでも手を差し伸べられる人間でありたい。

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【運営・執筆】竹本てつじ【転載について

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