沖縄県が春と秋の叙勲で推薦書未提出、2名の受賞機会喪失!玉城知事は発覚後も公表せず補選で大はしゃぎ

未提出発覚の2日後に選挙戦突入、屋良氏当選の一カ月後に事実を公表
沖縄県は21日、令和元年春と秋の叙勲で推薦書書提出が遅れ、本来受賞が見込まれた県内の文化関係者2人の受賞機会が喪失していたことを公表し謝罪した。玉城デニー知事は「事務手続きの瑕疵(かし)で県民の県行政に対する信用を大きく損ねただけでなく、文化芸術の振興に長年尽力されてきた文化関係者の受章機会の喪失を招いたことを重く受け止める」と謝罪のコメントを発表した。
参考:春と秋の叙勲、候補者2人の書類が間に合わず「受章機会を喪失」沖縄県が謝罪 | 沖縄タイムス
どうしてこうなった?ハチャメチャ経緯
報道によると推薦書提出遅れによる受賞機械喪失の経緯は以下だ。
春の叙勲
・2018年6月11日
文化庁から沖縄県へ推薦依頼、県教育庁がA氏、県文化観光スポーツ部がB氏を候補にあげるが文化観光スポーツ部の書類作成が遅れる
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・8月30日
8日の提出期限を過ぎているのに県の叙勲選考審査会でB氏の推薦が正式決定
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2019年1月8日
・書類作成がさらに遅れ文化庁へ「作成できた書類だけでも」と伝えるが、期限が4カ月も過ぎており受付を拒否される
秋の叙勲
・2018年12月10日
文化庁から沖縄県へ推薦依頼(この時すでに春の叙勲推薦書に遅れ)
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・2019年1月28日
県教育庁が文化観光スポーツ部にC氏を候補者としてあげ、文化観光スポーツ部としては春の叙勲に推薦できなかったB氏を再び候補者としてあげるが、春の叙勲に続いてB氏に関する書類不備により作成が遅れる
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・3月29日
2月8日の期限を7週間も過ぎて文化庁へC氏の推薦書を提出する
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・4月5日
文化庁から不受理の連絡を受け班長に「未提出」を報告
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・4月7日
班長から課長に報告、この時点で県が「未提出」を知る
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・5月21日
文化観光スポーツ部が謝罪会見するも玉城知事は同席せずコメント読み上げのみ
知事は知らなかったことになっているが、選考会そのものが提出期限後に開かれるなど不自然な点が多い。時期的には翁長前知事が膵がんを公表し治療のため公務を離れた翌月で、8月8日に翁長氏が亡くなるという混乱したころだ。しかし、書類未提出の理由はB氏団体の活動実績の情報収集難航であり、玉城デニー知事の誕生後も未提出のままとなっている。
4月7日に問題が発覚したが事実を公表しないまま、4月9日からの衆院沖縄3区補選に突入。そして21日に屋良氏が当選した際の大はしゃぎぶりが冒頭の写真だ。
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