志葉玲「鳥越は神輿」担ぐ神輿は軽くてパーがいい?
ジャーナリストの志葉玲氏がまた暴言で物議を醸している。
8月3日、自身のフェイスブックに都知事選の結果分析を投稿。
その中で志葉玲氏は、
「今回の都知事選で敗れたのは、極論すると、鳥越俊太郎さんであって、野党共闘や市民ではない」
「ただし、野党や市民にかつがれる神輿である、鳥越さん自身に覚悟と気迫、そして能力が十分でなかった。いくら、担ぎ手が頑張っても、神輿自体に十分に人々を引き付ける力がなければ、選挙は勝てない。」
これは酷い内容だ。与党支持者が鳥越候補を批判するのはよく目にするが、鳥越支持者が選挙後に候補者をここまで批判するのは珍しい。そして見苦しい。
候補者を党や団体の『神輿』と表現することがどれだけ失礼なことか、ジャーナリストなら知っているはずだ。
担ぐ神輿は軽くてパーがいい
1982年の自民党総裁選挙の際に、小沢一郎(現 生活の党)が、自身の派閥が支持する中曽根康弘氏をこう評した。
「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」
煽てに乗りやすいが、自分の考えを持たず、振るわず、派閥の言いなりになる人間が良いという事だ。
これと同じことを志葉玲氏は鳥越俊太郎氏に向けているのだ。
今回の都知事選の結果を受け、言っておきたいことがある。直接、選挙戦に関わっていた方々は口が裂けても言えないことでも、少し引いて観ていた立場だからこそ言えることもあるのだろう。
それは、今回の都知事選で敗れたのは、極論すると、鳥越俊太郎さん…
また、都知事選の敗因を鳥越氏だけに押し付け、野党共闘の失敗を認めようとしない傲慢な言い分でもある。宇都宮氏も切り捨て、落選した候補者を使い捨てにするような野党共闘が、市民に信頼されるわけもなかろう。
先日も「多分さー、今後は「選挙に行こう!」的なキャンペーンも考え直さないといけないね。バカが選挙に行ってバカに投票するというのが、最近のパターン」という優生思想につながる問題発言をしたばかり。
志葉の妻である増山麗奈が暴言で鳥越氏の足を引っ張った反省もない。
とんだカップルである。