「あたしおかあさんだから」を叩いてる人達は「社畜お父さん耐えろ!」的な歌を批判してきたのだろうか?
元うたのおにいさん横山だいすけさんの新曲「あたしおかあさんだから」が炎上した。問題視されたのは歌詞の内容だが、社会に出た女性が結婚して子供を産むことで、それまでのキャリアや自分らしさを捨てて「おかあさん」になることを許容していく歌詞であった。
参考:あたしおかあさんだから 歌詞【横山だいすけ】 | 歌詞検索UtaTen(うたてん)
筆者の感想は「ゾッとした」である。女性が「おかあさん」になる過程を「あきらめ人間性を失う」ようなホラー調にしているようにしか思えず、子育てと仕事の両立や父親の協力は皆無。
それはもうどゾッとする。
ただし、本人がこの生き方でよかったと思えるならそれはそれでいい。だが、それを子供に聞かせるとなると現代にはマッチしないような気もする。
この歌が社会的に多くの批判を浴びるのは当然ではあるが、一方で考えなければならないのは「男性」の生き方は歌の世界でどう描かれてきたかだ。
お父さんは社畜のままでいいのか問題
あえて、どの歌とは限定しないが、日本に歌謡曲・ポップスというジャンルが発生して久しいが、耐えて支える女と夢を追う男という構図は紋切り型として定着してきた。しかし、時代の流れとともに、女性の自立と男性社会に対する反骨精神のようなものが歌にされることも多くなっている。
一方で、根強く残るテーマが「お父さん、お仕事がんばれソング」である。これに対して「お母さん、お仕事がんばれソング」はほとんど聞くことがない。ここで男女平等をことさらに訴えて、お父さんとお母さんを併記して歌えとまでは言わないが、これは明らかにお父さんは会社で仕事、お母さんは家で家事・子育てという仕組みが社会の現実として残っているからだろう。
例えば、理不尽な労働を強いられるお父さんに「耐えろ!頑張れ!」「パワハラ気にすんな男だろ!」「家族の笑顔で疲れも吹っ飛ぶ!」的な精神論でお父さんを社畜化する歌詞があったとして、それを批判して糾弾するような風潮はあっただろうか?
筆者の個人的な考えとしては、あくまでアーティストの表現活動であり、よほどの人権問題が絡まない限り規制したり放送禁止にするべきではないと思う。(子供向けは配慮が必要だが)
それでも歌の影響力とは絶大で、良くも悪くも社会を変える力がある。そういった意味で「あたしおかあさん」を不適切だと糾弾した人たちは「ぼくおとうさんだから」についても考えてみてはどうだろうかと思った次第です。