なぜ炎上?高市総理「自分の命が自分で守る原則」災害対策基本法と”津波てんでんこ”の教訓【KSLチャンネル】

8日夜、青森県で最大震度6強を観測した地震で、高市総理が「自らの命は自らが守るという原則」と呼びかけたことが、「政府が絶対に言ってはいけないこと」など、批判を浴びています。
2011年の東日本大震災では津波からの避難を呼びかける「津波てんでんこ」という標語が再認識され、2018年の西日本豪雨災害でも呼びかけられた「自らの命は自らが守る」という防災の基本を早くも忘れ、政権叩きがしたいがために被災地の人命を軽視する危険な流れが起きています。
津田大介さんに至ってはこう断言されています。
【津田投稿】
「自らの命は自らが守るという原則」なんてないだろ。
「自助・共助・公助」なんていう頓知気な概念出して政治が果たすべき「公的責任」から逃げ続け、自己責任社会化を進めてきた果てに首相のこの発言があるのだと思う。 https://t.co/MedF57ejYj
— 津田大介 (@tsuda) December 11, 2025
100万人以上もフォロワーがいるアカウントで、こういう誤った知識を披露しているわけですが、害悪情報といっても過言ではありません。
自助は法で定められた責務
自らの命は自らが守るという、この原則は政府だけでなく、あらゆる自治体の防災対策の資料に記載されていることで、防災対策基本法でも定められていることです。
一部では二条の二の(基本理念)を挙げる方が多いようですが、これは自治体の長が住民に対して負う責務の一つで、実際は第七条に(住民等の責務)として規定されています。
災害対策基本法 第七条
3 前二項に規定するもののほか、地方公共団体の住民は、基本理念にのつとり、食品、飲料水その他の生活必需物資の備蓄その他の自ら災害に備えるための手段を講ずるとともに、防災訓練その他の自発的な防災活動への参加、過去の災害から得られた教訓の伝承その他の取組により防災に寄与するように努めなければならない。
ここでいう「過去の災害から得られた教訓の伝承」というのはまさに東日本大震災で再認識された『津波てんでんこ』があげられるでしょう。元は単に「てんでんこ」として伝えられたものが1990年ごろに『津波てんでんこ』という標語になったようですが、東日本大震災では津波の被害を受けた釜石市でこの標語が実践され、それぞれが高台に走ったことで多くの命が助かったと言われています。
この災害対策基本法では国・自治体・住民の責務がそれぞれ規定されています。
国:防災基本計画の策定、広域支援、財政措置
都道府県・市町村:地域防災計画の作成、避難指示・避難所運営
住民:自助努力(避難、備蓄、防災意識の向上)
国と自治体は個別に連絡を取り連携できますが、住民に対しては広く呼びかけが必要になります。今回の呼びかけの対象が住民であるため高市総理は発生初期の会見と予算委員会で「自らの命は自らが守る」と住民の避難を最優先して伝えたわけです。
「津波てんでんこ」の重要性
リスクマネジメントの専門家である加藤真由さんという方が2023年に書いた記事の中で、京都大学の矢守克也教授による『津波てんでんこ』が持つ4つの意味・機能を紹介しています。
「津波てんでんこ」を正しく理解しよう~災害に強い組織づくりへの第一歩~ | RM NAVI
1つ目は、「自助原則の強調」である。「自分の命は自分で守る」という考え方は重要だとされている。しかし、単純に津波避難における「自助」の重要性にとどまるものではなく、自己責任の原則だけを強調するものではないことに注意が必要である。
2つ目は、「他者避難の促進」である。避難する姿が目撃者にとっての避難のきっかけとなり、結果的に他者の避難行動を促す仕掛けとなる。
3つ目は、「相互信頼の事前醸成」である。「津波襲来時はお互いに"てんでんこ"する。」という行動を、事前に周囲の他者と約束する。この信頼関係が共有されていれば、「てんでんこ」の有効性が飛躍的に向上する。
4つ目は、「生存者の自責感の低減」である。被災時には、津波で命を落とした他者に対して自責的感情に苛まれやすい。しかし、事前に他者と「てんでんこ」を約束しておくことで、「亡くなった人も"てんでんこ"した(しようとした)にも関わらず、それも及ばず犠牲になった」と考え、生存者の自責的感情を低減する可能性がある。
これはとても分かりやすい説明で、自助が共助につながるという重要な指摘です。実際の災害発生時に被災地域の住民は「他の人は避難しているのか?」ということに注目し、誰かが脇目もふらずに避難している姿を目にすれば、その人も躊躇なく避難するでしょう。
実際に釜石市では高台へ走る中学生の姿を見て、校舎上階への避難では津波の高さに対応できないと判断して近隣の小学校でも高台避難に切り替えたという実例があります。最初に高台に走り出した中学生の行動は自助であり、他の住民に対する共助でもあったわけです。
自助を否定し政権叩き
こういう基本原則が東日本大震災と西日本豪雨で再認識されたはずなんですが、ここに来て高い支持率の高市政権憎しで「自らの命は自らが守る」という人命にかかわることまで否定されていることは由々しきことです。
幸いなことに国会議員でこれを批判する人は私の知る限りいないようですが、菅義偉政権が理想とする社会像として掲げた「自助・共助・公助」で自助が最初にあって強調されていると野党議員が難癖をつけたのが、東日本大震災と西日本豪雨の教訓を忘れさせた発端でもあるので、ここは反省し改めて自助の大切さを再発信してもらいたものです。
災害と聞くと、とにかく政権批判に結びつけようとする人が毎度のように誤情報を拡散しているわけですが、被災地住民のことなど二の次で、むしろ政府には災害対応を失敗してもらって批判のネタにしようとしている節すらあります。
今回の地震ではいまのところ建物などの損壊が中心で、甚大な被害には至っていませんが、これすら残念がってそうで怖くなるレベルです。
こういう連中の誤情報には惑わされることなきよう「自らの命は自らが守る」という原則を覚えておきましょう。









































