参政党から選挙権を奪う?炎上した朝日新聞記事の真相→批判ばかりの政党、過激な妨害者への皮肉?【KSLチャンネル】

朝日新聞13日付けの『憲法季評』で、一橋大学の安藤馨教授が参政党躍進について「高能力者には複数票を与える」「低能力者には選挙権を与えない」と、過激な提案がなされているとして参政党支持者が憤慨しています。
出典:記事:(憲法季評)「排外主義」の広がり 政治の価値、参加か合理性か 安藤馨:朝日新聞
実際に問題となった記事を確認すると、安藤教授が「高能力者には複数票を与える」とか「低能力者には選挙権を与えない」と智者政(エピストクラシー)を推奨したものではありません。
現代日本の選挙制度は能力の有無に関係せず選挙権を等しく与える「民主政」と言えますが、その弊害について議論するときに対極として能力の有無で選挙権を制限することを「智者政」という言葉で表現しますが、安藤教授はそれを否定的にとらえています。
有料会員記事ですので、引用を最低限に留めておきますが、安藤教授は民主政の弊害を例に挙げたうえでこう疑問を投げかけています。
「選挙権の行使は国民一般に重大な影響を与えるのだから、医療行為のように一定の能力水準を満たした者にのみ許されるべきだと考えてはいけないのだろうか。我々は拙劣な医療にさらされない権利を有するがごとく、拙劣な政治にさらされない権利を有してはいないのだろうか。」
出典:記事:(憲法季評)「排外主義」の広がり 政治の価値、参加か合理性か 安藤馨:朝日新聞
どうやらこの部分を額面通りに受け取った人が騒いでいるようですが、論文において「~だろうか?」と問いを投げかける疑問文は筆者の本意ではなく、それに続く答えがあるわけです。逆に見れば、答えを書くには問いが必要ですから、あえて対立する考えを問いとして立てておく必要があるわけです。
過激な妨害者への皮肉?
安藤教授は智者政の問いに対して「だが、それでもなお多くの政治理論家は智者政を斥(しりぞ)け、誰もが政治参加しうることの価値を重視し、民主政を擁護する。」としており、公平な選挙権が保証される民主政を答えに持ってきています。
これは安藤教授一流の皮肉(アイロニー)でもあるので、少し理解が難しいところでもありますが、答えがあるのに問いを筆者の本意とするのは完全な誤りです。
安藤教授が「排外主義」「誤情報」という言葉を使っていることから、参政党を頭ごなしに批判しているように読む人も多いようですが、例えば参政党が掲げた「日本人ファースト」については「これら優先性は福祉国家の基盤でもあり、なんら奇異な主張というわけではない」と評価しています。これらの主張の元になっている感情が必ずしも事実に即していないという指摘をしているだけで、このキャッチフレーズそのものが差別であるという批判はしていません。
また参政党が排外主義と批判される一方で、実際に外国人労働者の多い地域での支持率の高さを指摘し「在留外国人を巡る現実を知っているという体験的知識によって支えられている側面がある」と冷静な分析も行っています。
さらに結論の部分では「興味深いことに、参政党は候補者に占める女性比率も目立って高く、政治資金も党費や寄付といった支持者の自発的拠出によって多くを賄っている。そのことは政治参加の観点からは高い評価を受けてしかるべきであろう。」と、参政党支持者が飛んで喜びそうな評価をしています。
安藤教授は参政党の躍進を冷静に分析し、それを排外主義だ陰謀論だと、それを短絡的に批判している人たちへ思いっきり皮肉をかましているわけです。
考えてみてください。参政党を批判する政治勢力こそ「教育の敗北」「東京都民の民度」「馬鹿に政治参加させるな」などと叫び、能力のないものに選挙権を与えない智者政を推奨してるのです。
安藤教授はあえて選挙権を制限する智者政を持ち出し、参政党を排外主義だ差別主義者と批判する人たちも、憲法と人権の観点から誤った主張しているという皮肉を込めているわけです。この民主政の難問に批判者はどう向き合うのか?それを問うているわけです。
いま特定政党に関わる人物が行う参政党を排除しようという動きも、街頭で支持者にまで及ぶ過激な妨害行為も、それは公平な選挙権を否定する智者政になっているのではないかと、私はこの記事を読んで感じた次第です。










































