フジロック開催と出演を巡るそれぞれの判断、オリンピック開催を否定した野党は矛盾に向き合えず沈黙【マガジン121号】
新型コロナウイルス感染拡大の中、8月20・21・22の3日間で開催された「フジロックフェスティバル ’21」に対する賛否両論がネット上で議論の的となっている。
筆者の考えとしては東京オリンピックが無事終了したこともあり、民間でやるフジロックを中止しろというのは自分の言説に矛盾を生じさせるので「開催賛成」である。オリンピックが無観客であったことに対して、フジロックは事前の感染対策を徹底したわりには、当日はステージ前で観客がかなり密になっていたのはいかがなものかと思ったが、それはそれで後の検証対象になるでしょう。
開催の是非とは別に、出演者の一部が強くオリンピック開催に反対していたことも大きな話題となっている。結論から言えば、フジロック開催に向けて頑張っていたのなら、同じくオリンピックが無事挙行されることを願っていればよかったものを、この先指摘されるであろう矛盾を向き合えなかった出演者や辞退者は一定の批判を受けて当然。
さらにパラリンピックの開催を批判しているひとなんて矛盾どころの話ではない。
ちょっと考えれば分かるような凡ミス
フジロックの開催を望み参加まで決めていた人たちは、オリンピックが無事終わることがフジロック開催の絶対条件であったことを考えずオリンピック批判を繰り返すという凡ミスを犯したのだ。
エンターテイメント業界がすでに限界を超えている状況で、オリンピックを何としても成功させてフジロックやその他のイベントにつなげる必要があったのに、なんとなく程度の政治的イデオロギーを押さえることができなかったのです。また、なんでもいいから権力批判をすることを「俺たちロックだぜ」と思い込んだ結果が今回のような炎上につながった。
直前になって矛盾に気が付いて辞退した人が最も卑怯で、その傷をなめている出演者もダサい。なんとしても開催して成功させるという意気込みとポリシーがあったのなら、直前に逃亡した連中を許せないはずなのだが「気持ちがわかる」と安っぽいSNS投稿している連中はぜんぜんロックじゃないと思う。
その点で言うとオリンピックの開会式で堂々の国歌斉唱を披露し、フジロックにも出演したMISIAさんはとてもカッコイイ。
五輪を感染拡大の要因とした野党の矛盾