映画評論家の町山智浩さん「多数派による独裁」というパワーワードを放つ!「多数者による専制」「数の暴力」と勘違いか?
映画評論家の町山智浩氏が4日にツイッターで「多数派による独裁」という言葉を使ったことが話題となっている。多数派と独裁という相容れない言葉の組み合わせに多くのSNSユーザーが困惑した。
多数派が少数派を無視して強行採決などで押し切るのは民主主義ではなく「多数派による独裁」です。民主主義とは多数派がより多くの合意を得るために少数派に歩み寄るものです。「数の暴力」または「多数派の暴政 Tyranny of Majority」は民主主義と多数決の違いを示す基本的な政治用語です。 https://t.co/xb7P8ySFlC
— 町山智浩 (@TomoMachi) August 4, 2022
正しくは「多数者による専制」「数の暴力」
町山氏がツイートの後半でなんとなく説明しているが、おそらく「数の暴力」「多数者による専制」を意味する tyranny of the majority のことが言いたかったのだろう。ただし独裁と専制では意味が異なり、数の暴力でもない。専制とは統治者と被統治者が身分などによって分かれ、支配層が被支配層の政治関与を認めない体制のことである。一方で独裁とは個人や一つの党派が権力を独占している体制。
よって「多数者による専制」は起こりえるが「多数派による独裁」は起こりえない。町山氏は2021年1月にも誤った解釈で「多数者による専制」を「多数派による独裁」と言い換えている。
あのね、「多数派による独裁」または「多数派による専制」「数の暴力」というのは、英国の政治哲学者ジョン・スチュワート・ミルやジョン・アクトンが使った言葉で、「民主主義とは多数決が少数派の意見を圧殺することではない」という説明で必ず使われる慣用句なんですよ。 https://t.co/jKUAbb3i6v pic.twitter.com/1trkqkfs3q
— 町山智浩 (@TomoMachi) January 10, 2021
数の暴力に関しても、多数決による決定を批判するものではなく、それによって少数派となったものを抑圧したり「間違った考え」と規定して排斥することを意味する言葉だ。町山氏は強行採決を数の暴力としているが、そもそも民主的に選ばれた代表者である議員によって審議された後は、多数決で決定するしか方法はない。町山氏の主張は自分の気に入った多数意見は民主主義で、気に入らない多数意見は数の暴力というもので筋が通らない。
単純に「多数者による専制」を「多数派による独裁」と誤って認識したものと思われるが、少し考えれば多数と独裁という矛盾に気が付きそうなものだが。指摘に対しても速やかに訂正すればいいのだが、それができないのが町山氏なのである。
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