菅直人さん「1983年初当選をした」→初当選は1980年、自分の経歴を忘れていることが指摘される
政治・社会
立憲民主党の菅直人衆院議員は23日、自身の経歴について「1983年初当選をした」とツイッターに投稿していたことについて、実際は1980年であることが指摘され訂正を行った。
与野党
国民民主党の与党化には驚いた。1983年初当選をした時、私は衆参5名のミニ野党所属だった。薬の問題に取り組み,後に薬害エイズ問題に発展。与党が圧倒的多数だと、全ての政策が政府与党だけの密室で処理され、国民には政策決定過程が見えなくなる。野党が弱体化した今の国会はその危機にある。— 菅直人 衆議院議員(府中・小金井・武蔵野) 立憲民主党 (@NaotoKan) February 23, 2022
私が最初に国政選挙に出たのは1976年の「ロッキード選挙」と言われた総選挙で、無所属でした。1980年は社民連公認で初当選した年です。ご指摘ありがとうございます。
— 菅直人 衆議院議員(府中・小金井・武蔵野) 立憲民主党 (@NaotoKan) February 23, 2022
記憶の問題か厚顔無恥なのか
当選14回といえど自分の初当選年を忘れるのはいよいよだ。菅氏は1976年に市川房枝の団体から支援を受け衆院選に出馬するも落選、1977年には市川の反対も聞かず参院選に出馬して落選、1979年の衆院選も落選、与党内の対立によりハプニング的に前回選挙から8ヶ月で解散してしまった1980年の衆参同日選挙で初当選している。かなり印象的な選挙で忘れようがないと思うのだが。
ちなみに菅氏は度々、恩人である市川房枝との関係を強調するが、市川は菅氏が名簿を持ち出しカンパや選挙運動支援の呼びかけに利用したとして批判し、名前を出されることを嫌っていた。市川は菅氏と袂を分かった直後に死去しており、現在も一方的に菅氏が関係性をアピールしている。
このあたりの話は菅氏の記憶の問題なのか、それても厚顔無恥なのか。
関連:菅直人さん「橋下徹氏が大石あきこ議員を訴えたという報道にびっくり。政治的な論争ならば政治の場で争うのが普通」→自分は安倍さんを訴えて敗訴してました
関連:菅直人ら元首相5人の福島原発事故EU書簡問題、立民・玄葉光一郎元外相も苦言「やはり不適切で、現時点では言い過ぎだと思う」
【ご支援をお願いします】取材・調査・検証記事はコピペまとめサイトのような広告収入は期待できません。皆様からの支援が必要です。各種支援方法詳細
このサイトをフォローしよう