【検証】高市早苗議員は不戦決議の本会議で「私は戦争当事者じゃないから反省してない」と発言したのか?→登壇記録なし、別の委員会発言を趣旨に反して切り取り

政治・社会



 自民党の総裁選に名乗りを上げた高市早苗衆院議員(奈良2区)が、1995年の不戦決議を採決する本会議で「私は戦争の当事者の世代じゃない。だから戦争について反省なんかしていないし、他人から反省を求められるいわれもない」と発言したというツイッター投稿が拡散され、総裁選出馬を阻止しようという動きがある。投稿は2500回以上リツイートされ、"いいね"は5700回を超えている。


不戦決議に高市氏の登壇記録なし

 この投稿は野党に批判的なまとめサイトにも掲載されているが、デマで有名な「きっこ」の投稿を鵜呑みにして、これがツイッター全体の意見であるかのように「ツイ民」と表現していることにも批判の声が寄せられている。

 まず事実関係から指摘しておくが、不戦決議とは終戦から50年の節目として村山内閣時代の1995年6月9日に衆院本会議で可決した「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」のことである。当日の採決が無いと伝えられていた反対派が退席(ほぼ半数の241人が欠席状態)したところを土井たか子衆議院議長(当時)が不意打ちで採決したもので、いわゆる村山談話につながる決議である。
 当時の本会議記録を確認すると、提出者の趣旨弁明の直後に採決され、時間にしてわずか6分の出来事、討論などは行われていないので高市早苗議員がこの本会議で件の発言をしたという事実はない。
参考:第132回国会 衆議院 本会議 第35号 平成7年6月9日 | 国会会議録検索システム

別の委員会での発言を切り取り

 結論から言うと高市氏の発言は本会議ではなく、1995年3月16日の外務委員会での河野洋平外務大臣(当時)に対する質疑を切り取られたものである。

第132回国会 衆議院 外務委員会 第9号 平成7年3月16日
○高市委員 国会決議の問題を国会議員以外の者が公式な場所で発言する、これは全然関係ないことだと言われたらそれまでですけれども、相手国にとっては、少なくとも相手国の国民にとっては、日本を代表する立場の人間だと思ってこれを聞くわけですから、要らぬ期待もされるわけでございます。
 そういうことだったら、アメリカにおいて日本国政府を代表していると考えられる方がこういった種類の、自分の手の届かない種類のことについて発言するのを今後もう慎んでいただきたいと私は思います。
 栗山大使の発言、また調べてからということなんですけれども、私、手元にございますのでもう少し紹介させていただきます。
 憲法と反省の関係について言っておられることなんですが、「日本国民全体の反省があるから戦後の平和憲法に対する国民の熱心な支持がある。また、新憲法の下で政治的自由、民主主義体制の支持があるのも反省があるからこそ。日本国民は反省をきちんと持ち続けなければならない」と、日本国民全体の反省があると決めつけておられるのです
けれども、少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております。
 新聞社の世論調査では、謝罪すべきではないと答えた人が四七%、謝罪すべきだと答えた人が四三%でございまして、まさしく現在国論が謝罪ということについて真っ二つに割れている状態なんですが、このような状態のまま、国会での多数決で、わずかに多い方の意見を日本国民の総意として国際社会に示すことこそが民主主義への冒涜であり、また国民の代弁者たる国会議員の越権行為だと私は考えますので、私自身は、このような歴史の問題というのは国民一人一人の思想や価値観にもかかわることですし、国会決議にはなじまないだろうなと思っているわけですが、民主主義という言葉を記者会見で持ち出した粟山大使自身が民主主義を軽んじているんじゃないか、私は彼の発言を新聞記事で読んでそう思ったのですけれども、大臣自身はこの問題についてどうお考えでしょうか、御見解をお聞かせください。

 これは栗山駐米大使(当時)が、憲法と戦争に対する反省について「日本国民は反省をきちんと持ち続けなければならない」と発言したことに対して、決議もなく国会議員でもない人間が勝手に国民の考えを代弁したことを批判したものだ。そのなかで高市氏は、国民の議論と歴史検証なきまま「侵略戦争」という認識を国家が国民に押し付け、過去の戦争責任を戦後に生まれた国民に対して「民族」という括りで負わせるべきではないという考えから件の発言をしている。生まれながらにして国家から罪を負わされることへの反発は人権意識としてまっとうなものだ。

 このあたりの高市氏の認識については2013年のコラムでも「日本は世界で唯一、日本人に生まれただけで罪であり反省と謝罪をすべしという「民族責任論」を唱えていることになる。」と解説されているので参照されたい。
参考:皆様への御礼①:村山談話発言に関するメールに対して | 6期目の永田町から 平成24年12月~平成26年12月 | コラム | 高市早苗(たかいちさなえ)

 さらに、この発言にしっかりとした経緯があり、不戦決議の前年に戦後50年の節目に何らかの決議が行われる動きがあったことで、高市氏が村山総理(当時)に認識を質した時に、この決議が国民の合意なき一方的な謝罪決議にならないよう「これから戦争をしない、お互いに平和をつくっていこうという平和決議であるべき」と述べ、そういった不戦決議とすることを提案したのは高市氏だったのだ。過去の戦争に対する認識の基礎となる歴史検証に関しても「特に戦争を知らない世代でございますから、その責任を非常に強く感じております。」としている。

第131回国会 衆議院 予算委員会 第2号 平成6年10月12日
○高市委員 もう時間もなくなりますので、とにかく来年終戦五十周年ということで何らかの国会決議がされる動きもあると聞いておりますけれども、これが一方的に謝罪決議、それも国民の合意なき謝罪決議ということでなく、私はむしろ不戦決議、これから戦争をしない、お互いに平和をつくっていこうという平和決議であるべきだと個人的には考えておりますけれども、とにかくあちらこちらに出向かれて謝罪をされる、過ちだと言われる。それでしたら、何が侵略行為であったのか、具体的にはだれに責任の所在があるのか、そして、国民的な議論を代表して、総理が日本国の代表として出ていかれる、そういった下地をぜひ整えていただきたいと思います。
 私たちの世代にとっても本当に大事な、これは歴史の見直し、大変な課題なんですね。特に戦争を知らない世代でございますから、その責任を非常に強く感じております。歴史的な検証も十分に行った上で決断を下していただきたく思います。
 次に、エネルギー政策について質問をさせていただきます。(後略)

まとめ 民族の自由と尊厳を守る発言

 こういった発言は誤解を招きやすく、佐高信氏の著書で後藤田正晴氏が「腰を抜かした」と批判していたことが明かされているようだ。(きっこの投稿はこのアカウントの発信が基になっている?)


 ただし、これは高市氏の発言が誤った要約で後藤田氏に伝わったものだ。

 事実関係と高市氏の発言趣旨をまとめると、

・高市氏は本会議決議に登壇していない→外務委員会での質疑
・国家が国民に押し付ける一方的な謝罪決議ではなく、戦争をしない、互いに平和をつくる決議にするべきと提案したのが高市氏だった
・日本人が民族として生まれただけで罪を背負い、他国から謝罪を求められるのは間違っていると主張

 高市氏は左派から"極右"などと批判され、あたかもレイシズムに肯定的であるかのような印象操作が行われているが、こうして氏の発言趣旨を検証した結果では、民族や生まれで後世まで罪を負うことに強く反対し、基本的人権を守る発言していたことがわかった。

 高市氏の発言を批判している人は、民族によって生まれながらにして差別を受けることを肯定しているのだろうか。また「反省」という気持ちのありかたを、国家が規定し強制することを許すのだろうか。

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【運営・執筆】竹本てつじ【転載について

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